「……有り得ない……これ、何なの?……手紙の主は誰なの?」
そう言いながら龍月を見上げる。龍月の視線が冷たい。もしかして、龍月はこの手紙の内容を信じているの?確かに2年前、龍月のご両親は車に跳ねられる事故には遭ったけれど、大事には至らなかった。
「待って、龍月。こんなの間違ってる。私は何もしていない。ご両親に私が何かする理由が無いもの!ご両親にはお世話になっているの。今までもずっとお世話になって来たのよ?それなのに、その私がご両親を車で撥ねろなんて言うと思うの?」
龍月の私を見る視線は冷たいまま。あ、私、知っている、この瞳。龍月は自分に仇成す人にはとことん冷たくなれる人なのだ。そしてその冷たい瞳が私を見つめている。龍月の冷たい視線に晒され、私は背筋が凍る。血の気が引いて行くのが分かる。
「信じて!……お願い!……私は何もしてないの!お金なんて知らない、この手紙の主も知らないのよ……」
言いながら恐怖に体が支配される。体中が震える。そこで私は初めて思い出した。そうよ、私のお腹の中には……。
「龍月、私ね、妊娠してるの……あなたの子を身籠ってるのよ、お腹の中に赤ちゃんが居るの……!」
縋るようにそう言うと、ほんの一瞬だけ、龍月の瞳が驚きを見せた。けれどすぐに冷たい視線に戻る。
「それもお前とお前の母親の計画の一部か?」
そう聞かれても何の事なのか、分からない。
「仮にお前が妊娠していたとして。そもそも、お前のお腹の中に居る子供は俺の子か?」
まさか龍月にそう聞かれるとは思っていなくて絶句する。目頭が熱くなり、涙が込み上げて来る。
「誰の子かも分からない子供を妊娠したから何だって言うんだ?それで何か変わるのか?妊娠したんなんて嘘を言うな!」
ポロポロと涙が零れる。龍月は首を振って言う。
「残念だったな、俺はもうお前には騙されない」
龍月は私を冷たく見下ろして言う。
「俺は華凜と結婚するつもりだったんだ」
龍月の声は冷たく、まるで刃を向けられたように息が詰まる。
「お前はそれを知っていて、俺と華凜の間に割って入ったんだろう?両親に気に入られている事を逆手に取ったんだ。俺が両親には逆らえない事を知っていて、両親に圧力を掛けるように言ったんだろう?お前と結婚しないなら、後は継がせないと両親に言われた俺は従わざるを得なかったんだ……その悔しさがお前に分かるのか?」
私は泣きながら言う。
「だって、私だってあなたを愛していたのよ。この世の誰よりも深く愛していたの……妹よりも私の方があなたを思っていたのよ……それに……妹はあなたのお金が欲しいだけだったのよ……」
そう言いながら私は崩れる。お願いだから信じて……そう思いながら。
「お前はどうなんだよ、お前の家族は俺の金に目が無かったじゃないか。お前の意地汚い父親もお前の母親もみんな俺の金目当てだった……。唯一、お前の妹の華凜だけが俺の救いだったのに……」
龍月は私を睨み、私の顎を掴み上げると言う。
「何故あの時、俺がお前との結婚を決めたか分かるか?お前に華凜の優しさの一端を見たんだ……優しく微笑むお前は華凜に良く似ていた……お前の中に華凜の面影を見た気がした、それが無かったらお前などと結婚する訳無いだろう?」
龍月の瞳には憎悪にも似た光が宿っている。
「俺がお前に愛情を向けるとでも思ったのか?今になってお前の涙や懇願で俺を騙せると?笑わせるな、お前のような奴に向ける愛情なんて無い。お前に俺を愛してるなんて言う資格など無い!」
龍月は胸元から一枚の紙を出す。
「今すぐ離婚届にサインしろ。そうすればお前の罪にも目を瞑ってやる。お前の可愛い弟の職も奪わないでやろう」
弟?……急に何故、桃李の事が出て来るの?
「お前の弟が務めている病院に圧力を掛けないでおいてやると言っているんだ」
そう言われて思い出す。そうだ、桃李の務める病院は龍月の会社の傘下だった……。龍月が胸元から出した紙を私の目の前に落とす。
「離婚さえすれば、あとはもうどうでも良い。好きにしろ」
そう言い終えると、龍月は私を見る事もせずに背を向けて去って行った。
私は床に座り込み、途方に暮れる。目の前に落ちた離婚届。それを見ながら私は考えていた。あの手紙の主は一体、誰なの?どうして私にこんな酷い言いがかりをつけるの?離婚届を掴む。手の中で紙がくしゃっとなる。涙を流しながら私はひたすら考える。一体、誰がこんな事を仕組んだの?
龍月が去った部屋はまるで時間が止まったかのように静寂に包まれている。私の視界はまるで濃い霧がかかったようで、ただあの手紙だけがその存在感を白く浮き立たせている。瞬きをすると瞼の裏側にはその手紙の残像がまるで幽霊のように映り、私の心に漂い、私を捕らえる。
「何で……どうしてこんな事に……」
必死で逃げて来る男の子が転んでうずくまる。目の前の男の子は泣いていた。誰が見てもその子が危ない状況だという事は分かる程だった。私はそれを見て思わず駆け寄る。「助けて……お願い……」涙でぐしゃぐしゃになった顔でそう言う男の子。私は頷いてその子の手を取って走り出した。その時、私は漠然と思っていたのだ。この子を守らないと、と。何故そう思ったのかは分からない。彼の泣き顔を見たからなのか、彼に助けてと言われたからなのか。私はその子と一緒に走って逃げ、自分の家に駆けこみ、母に警察を呼ぶように言った。母は慌てていたけれど、最初は私が警察を呼ぶように言った事を本気だと思っていなかった。母は優しく大丈夫、大丈夫と繰り返すだけだった。私が必死で警察を呼ぶように言ったので、警察を呼んでくれた。警察に保護された男の子、それが龍月だった。龍月は篠江家の財産を狙う人間に誘拐されかけていたのだ。警察に保護されてからも龍月は私の手を離さず、傍に居て欲しいとそう言った。龍月のご両親が慌ててやって来て、私が保護した事を知ると、ご両親は私のその行動にいたく感動し、感謝の言葉を雨のように降らせた。私の母はその当時、職に困っていた時期だったけれど、それを聞いた龍月のご両親は私の母を篠江家で働かせてくれた。私は一目で龍月に恋をしたのだ。優しくて温かい龍月、少し泣き虫だったけど。龍月は泣きながら私の手を離さず、警察の人も龍月のご両親も、私の親も困らせる程だった。その時、龍月は私に言ったのだ。「ずっと、一緒に居たいよ……僕はこの子と結婚する!」そう言われた私は恥ずかしくて俯いた。でもすごく嬉しかった。私もずっと一緒に居たいと思った。私もこの子と結婚したいとそう思った……。繋いだ手が温かく、そして幼かった私は夢見てしまったのだ、彼との将来を。けれど、現実はもう違ってしまった。彼は私を絶望の淵へと追いやり、あと一歩で私をその深淵へ落とすところまで来ている。かろうじて踏み止まっている私の希望はお腹の中に宿った小さな命……。夢うつつの中でも病室の扉の開く音を感じる。誰かが病室に入って来るのが気配で分かった。桃李……?そう思ったけれど、私の瞼は重かった。目が開かない。入って来た誰かが私の手を包む。……温かい。あの幼い日に私の手を掴んで離さなかった龍月の温もりが思い出される。「龍月……」夢う
目が覚める。天井が白い。薬品の匂いがする……。辺りを見渡す。……病室だ。「姉さん……」声の方を見ると、桃李が私の手を握っていた。「桃李……私……?」そう聞くと桃李が言う。「倒れたんだ」そう言われてハッとする。「赤ちゃんは……?」そう聞くと桃李が微笑む。「無事だよ、奇跡的にね」桃李はそう言いながら私の頭を撫でる。「実はすごく危ない状態だったんだ。でも奇跡的に乗り越えた」胸が苦しくなる。良かった……。そう思いながら私は自身のお腹を撫でる。涙が溢れて来る。お腹の子が無事だと分かった瞬間、私は自分の中にあった憎悪や絶望、恐怖がふわっと消えて行くのを感じる。そして自分の中に残ったのはただただ、この子が愛おしいという感情だけだった。「もう、大丈夫なのよね……?」そう聞くと桃李が力強く頷く。「あぁ、大丈夫だよ」そう答えた桃李を見て、私は確信する。桃李は腕の良い医師だ。その桃李がそう言うのだから大丈夫なのだろう。病室には桃李以外には人が居なかった。私が倒れても龍月はもう付き添ってはくれないのだ。そう思うと悲しみが込み上げる。「何で篠江さんに姉さんの妊娠を言わないんだよ」桃李はそう言いながら怒りのあまりか、涙ぐんでいる。「アイツは姉さんに借りがあるじゃないか」借り……か。確かにそうだ。でもそれは今更掘り返す事じゃないし、今、重要なのはそれじゃない。「もう良いのよ、桃李」私は諦めを受け入れる。「龍月は私を裏切って、華凜と寝たの。私の義理の妹である華凜と関係を持っている。あれだけ私が華凜には気を付けて、華凜に騙されないでと言ったのに、龍月は私よりも華凜の事を信じた……それに」そう言って私は桃李を見る。「私が倒れても龍月は来なかったでしょう?」そう聞く私に桃李が苦笑いする。「でも本当にそれで良いのか?姉さんは何年も篠江さんを愛してたじゃないか。待ち望んだ子供も居るって言うのに……」そんな桃李に私は微笑む。桃李が思い付いたように言う。「あの手紙の主!そうだよ、その運転手を連れて来れば良いんじゃないか!」私は既に自分の手の中にある諦めの感情を転がす。「もう良いのよ。手紙の主が誰なのか、真実は何なのか……もうそんな事はどうでも良いの」天井を見つめる。「龍月は選択したの。私じゃなく、華凜を選んだ。だから私も自分の道を選ぶわ」あの
私はそう言った桃李を見る。桃李の顔には怒りが滲んでいる。「姉さんから話は聞きましたが、全て、嘘だ。だっておかしいじゃないですか、姉さんがそんな指示を出すなんて有り得ない!それに姉さんと篠江さんは3年も夫婦だったんですよ?その妻に対して何故、そんなに冷たくなれるんですか!」桃李にそう言われても龍月は表情一つ変えない。「それに姉さんは……!」そこまで言った桃李を止める。「桃李、止めて。もう良いのよ……」桃李が私を見下ろす。「でも、姉さん……」桃李の言いたい事は分かっていた。でも私は桃李の言葉を止めた。「ねぇ、龍月、携帯を車の中に忘れちゃったみたいなの、取って来てくれない?」甘えるような口調で華凜が龍月に言う。龍月はそんな華凜に微笑む。「あぁ、良いよ。待っていて」龍月は華凜の頭を少し撫で、私たちを睨み、歩き去った。龍月が居なくなると華凜は貼り付けていた微笑みを滑り落とし、私たちを見て嘲るように笑う。「久しぶりね、杏姉さん」華凜に姉さんなんて言われると嫌悪感でいっぱいになる。「あなた、留学していたんじゃなかったの?」そう聞くと華凜は笑う。「もう随分前に留学からは帰ってるわ」華凜の笑みは冷たく、そして私たちに近付いて来る度に、その冷たさが伝わって来るようで、私は背筋が冷えて行くのを感じる。目の前まで来た華凜は私を見て鼻で笑う。「自分の夫も繋ぎ留められないの?三年も夫婦だったんでしょう?その三年の間、一体、何をやっていたのかしらね?」華凜はそこでクスっと笑って言う。「あなたの母親だって結局、何も守れなかったものね。親子揃って同じ穴のムジナって事よね」そう言われて怒りが増す。華凜は私の妹だけれど、血は繋がっていない。義理の妹だ。私の母は事故で亡くなり、その後釜に華凜の母である美都が居座ったのだ、華凜を連れて。「あなたが今まで3年間、篠江家の奥様で居られたのは私が身を引いたからでしょう?その私が帰って来たんだもの、龍月は返して貰うわ」華凜を睨み付ける。華凜はそんな私を鼻で笑って言う。「篠江家の奥様っていう地位も私のもの」そこで桃李が口を挟む。「姉さんに近付くな、厚かましい!」そういう桃李を見て華凜がまた笑う。「どうして私がここに居るか、知りたい?」華凜は桃李から私に視線を移し、言う。「私のお腹の中には龍月の子供が居るの
結局一睡も出来なかった。普通は妊娠すれば眠くて仕方ない筈なのに。実際、私は昨日の夕方までは自身の眠気と戦いながら、特別な夜にしようと頑張って準備していたのだ。体は睡眠を欲しているのに、私の思考は止まらなかった。考えれば考える程、おかしい。私が龍月のご両親を車で撥ねろなんて命じる事は絶対に無いし、お金だって100万円なんてそんな大きな額を動かせる訳も無い。それに妹の華凜は今、海外に留学していて、2年前にも、今までにも誘拐されていた事なんて無かった筈だ。それに峰月美都は……。不意に電話が鳴る。スマホには桃李の名前。通話をタップした時にはもう泣いていた。「桃李……」私が泣いているのを察した桃李が聞く。「姉さん?!どうしたの?何かあった?」私は何をどう話して良いのか分からず、ただ泣いていた。桃李はそんな私を宥め、一人で居たらダメだと言い、自分の居る病院に来るように言う。約束させられた私は重い体を引き摺って、何とか身支度を整えて部屋を出る。病院に到着した私を桃李が出迎える。私の顔を見た桃李が驚いて、とにかく横になるように言う。病院の特別室に案内され、横になる。「顔色が悪いよ、何か体に変化は無い?」そう聞かれても私はもう何も感じていなかった。私を見た桃李の勧めで私は検査をする事になった。「大事な体だからね、念には念を入れておこう」桃李はそう言って微笑む。しばらくして桃李がまた病室に入って来る。検査結果が出たようだった。桃李は紙を見ながら難しい顔で言う。「数値が少し高いね……このままだと流産の可能性もある。」そう言われた私はまた涙ぐむ。そんな私を見て桃李が聞く。「一体、何があったんだよ……話して」上手く話せるか分からなかったけれど、私は一生懸命、昨日の夜の事を話して聞かせた。桃李はずっと私の話に耳を傾け、話し終えた私に言う。「何かおかしい気がしない?急にそんな手紙を寄越して来るなんて」そう言いながら桃李は腕を組む。「華凜が何かしたんだよ、きっと。だっておかしいじゃないか、辻褄が合わない事だらけだ」桃李が私の手を握る。「それにさ、姉さんのお腹の中には篠江さんの子供が居るんだ。姉さんのお腹の中の子供が篠江さんの子かどうか分からないって言うなら、出生前診断だって僕がやるよ」そう言われて私はそこでやっと希望の光を感じた。そうか、出生前診断がある
「……有り得ない……これ、何なの?……手紙の主は誰なの?」そう言いながら龍月を見上げる。龍月の視線が冷たい。もしかして、龍月はこの手紙の内容を信じているの?確かに2年前、龍月のご両親は車に跳ねられる事故には遭ったけれど、大事には至らなかった。「待って、龍月。こんなの間違ってる。私は何もしていない。ご両親に私が何かする理由が無いもの!ご両親にはお世話になっているの。今までもずっとお世話になって来たのよ?それなのに、その私がご両親を車で撥ねろなんて言うと思うの?」龍月の私を見る視線は冷たいまま。あ、私、知っている、この瞳。龍月は自分に仇成す人にはとことん冷たくなれる人なのだ。そしてその冷たい瞳が私を見つめている。龍月の冷たい視線に晒され、私は背筋が凍る。血の気が引いて行くのが分かる。「信じて!……お願い!……私は何もしてないの!お金なんて知らない、この手紙の主も知らないのよ……」言いながら恐怖に体が支配される。体中が震える。そこで私は初めて思い出した。そうよ、私のお腹の中には……。「龍月、私ね、妊娠してるの……あなたの子を身籠ってるのよ、お腹の中に赤ちゃんが居るの……!」縋るようにそう言うと、ほんの一瞬だけ、龍月の瞳が驚きを見せた。けれどすぐに冷たい視線に戻る。「それもお前とお前の母親の計画の一部か?」そう聞かれても何の事なのか、分からない。「仮にお前が妊娠していたとして。そもそも、お前のお腹の中に居る子供は俺の子か?」まさか龍月にそう聞かれるとは思っていなくて絶句する。目頭が熱くなり、涙が込み上げて来る。「誰の子かも分からない子供を妊娠したから何だって言うんだ?それで何か変わるのか?妊娠したんなんて嘘を言うな!」ポロポロと涙が零れる。龍月は首を振って言う。「残念だったな、俺はもうお前には騙されない」龍月は私を冷たく見下ろして言う。「俺は華凜と結婚するつもりだったんだ」龍月の声は冷たく、まるで刃を向けられたように息が詰まる。「お前はそれを知っていて、俺と華凜の間に割って入ったんだろう?両親に気に入られている事を逆手に取ったんだ。俺が両親には逆らえない事を知っていて、両親に圧力を掛けるように言ったんだろう?お前と結婚しないなら、後は継がせないと両親に言われた俺は従わざるを得なかったんだ……その悔しさがお前に分かるのか?」私は泣きなが
ダイニングのテーブルに花を生ける。ランチョンマットを敷いて、少しだけ特別なテーブルセッティングをする。気付けば私は鼻歌なんかを歌っている。私、篠江杏(しのえ あんず)は夫・篠江龍月(しのえ りゅうが)と結婚して3年になる。篠江家はこの国のみならず、海外にも事業を展開する世界的な大会社で、龍月はそのCEOだ。篠江グループの傘下には私の弟の桃李(とうり)が務める大病院もあった。私はここのところずっと、胃のムカつきを感じていて、胃の調子が悪いのかと思っていた。時折、眩暈を感じる事もあって、体調不良を実感して、私は桃李の務める病院に行った。「姉さん、おめでとう」そう言われて何がおめでとうなのか、分からなかった私はポカンとしてしまった。桃李はそんな私を見てクスっと笑い、言った。「おめでただよ、ふた月ってところかな」桃李はそう言って、微笑む。「エコーで見てみる?」そう聞かれて頷く。見られるなら見たい。「そこに横になって」そう言われて診察室の小さなベッドに横になる。「少し冷たいけど、我慢して」桃李はそう言って私のお腹にジェルを塗る。そうしてエコーの機械を私のお腹に当てて、画面を見る。「あ、ここだね。見える?」そう聞かれて私も画面を見る。「小さな袋状のものが見えるでしょう?」そう言われてエコー画面を見る。「えぇ、見えるわ」袋状のものが映し出されている。これが……待ちに待った我が子なのだと思うと少し不思議な感じがした。小さいけれど確実に私のお腹の中には赤ちゃんが居る。今まで感じていた胃のムカつきも、眩暈も妊娠したからなのだと分かる。「つわりがどの程度、出るかは分からないから、体調には気を付けて。体、冷やさないようにしないと」桃李はそう言って微笑む。「えぇ、そうね、その通りだわ」家に帰り、私はお腹の中の命を意識しながら動く。食べられる物を食べて、体を冷やさないように。そしてカレンダーを見て微笑む。奇しくも今日は私と夫・龍月(りゅうが)の3回目の結婚記念日。龍月も今日が結婚記念日だって知っている筈。私は龍月が帰宅する時間に合わせて、準備をする。今日は特別な日になりそうだわ、そう思いながら。◇◇◇時計を見る。もう日付が変わる時間。龍月はまだ帰って来ない。部屋の中は静まり返っている。不意にカタンと玄関の開く音がする。龍月だわ、そう思って私は